落ちの無い話・深夜の悶々
知られざる一面、というのがある。
人間誰しも、裏表で「顔」を使い分けている。家族に見せる顔、友人に見せる顔、一人でいる時の顔、Web上の一人格としての顔。お互いはそれらすべてと切り離されていたり、あるいはどれかと紐付けされて形成されている。同じ顔を使う中でもTPOで態度だって口調だって変わるし、中にはひた隠しにしている顔だってある。それが良い悪いの話ではない。それは社会で生きる上の最適解で、それができない方が問題あると言ってもよい。
では果たして知られざる一面を大盤振る舞いで御開帳しているのはいったいどういうことなのやら。
前置きがえらく長くなった。
最近友人の様子がおかしくて、多少心配になっている。もはや別人といっても過言ではないその様子は、当然おかしくなったわけでも別人なわけでもなく、俺達の前ではこれまで見せなかった顔というだけなのだろう。しかしこれまで見せなかったというのはそれに見合うだけの理由があるはずで、その理由が取り除かれた理由が何なのか、友人を鏡に自らに問いかける数日が続いている。これまで鬱積していた何かが爆発してしまったのか、その何かとは何なのか、どうしてそれまで気付くことができなかったのか、気付こうとすらしなかったのか。──はたまた、そもそも原因は本当にこちらサイドに存在するのか。
他人の心中なんてものは想像と信頼という言葉を借りた決め付けでしか計ることができないし、言葉にされたところでそれがどこまで本当か確かめる術もない。それでもなお、これまでどこかこちらから見えるところで、何かしらの思考や感情をアウトプットしていてくれれば、こうはならなかったんじゃないかなという身勝手な思いもある。人となりを掴むヒントは少ないよりは多い方が良い。──ああ、だから俺はWebでつらつらとまとまりのない散文を書くことを10年続けられたのかもしれない。これもいわゆる一つの自己顕示欲だ。俺はこんな人間ですよ、だからこういう風に扱ってくださいね、という、俺謹製の、俺の扱い方の説明書としての思考の表出。何を考えているのか皆に見えているところに投げ込んで、さらに記録に残すなんて気持ち悪い、と、とある人には言われてしまったが。
最近のその友人の様子は、まあ、端的に言ってしまうと、とてもめんどくせえ奴なのだけれど。「めんどくせー奴だなあしばらくほっとこう」で済ませずに、できることなら向き合っていければいいなと思っている。これまでどっかで失敗してきたのではないかと内心思っているので、これ以上失敗を重ねるかもしれないのは、怖いけれど、ね。
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