アーカイブ : 2010年 11月

HはHでもHandの方だがなァ!

マイ左手

画像の挿入テストがてらこんな日記。

たいへんよくあるオタクのパターンとして、一度は絵を描いてみようとして即挫折するというものがある。かくいう俺も遥かな昔、描いてみようかと思って、そして自分がどうしようもないヘタクソであることを自覚してやめた苦い記憶が。それ以来絵は見ることのみに専念していたのだけれど、最近ちょっとだけ描く方も練習し始めている。講義中とか暇な時間を潰す時にやってると楽しいんだこれがまた(講義聞け

で、何を描くかというともっぱら自分の手を描いている。昔にやろうとした時は「萌え絵見る→かわいい!→俺も描く」という単純な思考回路のもとで顔からやったんだけど、その時よりよっぽど楽しいですわ。意外にも表情(という言い方も変か)が豊富なのと、紙とペンさえ用意すれば始められるところがいい。ずっと左手を見つめる怪しい人の完成。その割に全然うまくならないんだけれども。

絵が下手なのは「思った通りに線が引けない」というのがかなりの割合を占めると思っているので、まずは見たままに写しとる訓練。ずっと続けていれば、そのうちに自分のイメージと線は一致してくるだろうし、イメージ自体も強固にできると信じる。超自己流だけどね。

共犯者たち

大改造劇的ビフォーアフターをやってみた」という動画をご存知だろうか。そのクオリティで一時期話題をさらった「これぞニコニコ」といえる傑作なので、知らなかった方には是非見て欲しい。

で、これを知ったサークルの先輩が「こういうのやりたい」と言いながら友人(一人暮らし。その先輩からすると後輩)宅大掃除の計画を立てていた。
本人に無許可で。ドッキリとして。

さすがに予算面でも時間面でもクオリティ面でもこの動画ほどのことはできないけれど、友人宅に存在するあらゆる家財という家財を一旦運び出し、かなり大掛かりな掃除と模様替えを施すつもりのよう。その仕掛け人側として計画を打ち明けられ、一枚噛まないかと誘われた。

話は変わるが、俺は自室というものをひとつの聖域と考えている。見られては困るものがあるというより見られて困るものしか無いからこその考え方だが、親しき仲であってもプライバシーという概念は最大限の努力をもって確保されてしかるべきだと思っているし、もし俺が大掃除ドッキリなどという名目で勝手に自室に手を入れられようものならキレる。暴れる。サークルとの離縁まで考える。たとえ今ものすごいことになっている部屋が、芸術的なまでに片付いても。

ということをノリノリな先輩に向かって言ってみたら、返ってきた言葉は「アイツやから大丈夫やってー。まあ俺が同じことやられてもキレるけどな」俺はもしかしたら今すぐこの人と縁を切るべきかもしれない。

「どうしても気になるなら良心担当としてでもいいから考えておいて」と参加を渋る俺をなだめる先輩への態度を保留し、とりあえず下見には参加した。参加した俺を待ち受けていたものは。
「掃除機が壊れた」と先日言っていた友人宅の様子は。

クローゼットはだらしなくその扉を開け放たれ、未整理の中身を惜しげもなく晒し。
投げやりにカゴに突っ込まれた洗濯待ちの服の山。
通り一遍の掃除では排除しきれなかった埃と毛が床のあちこちに。
ユニットバスのシャワーカーテンがなく、被った水でトイレ側のスリッパが朽ちていて。
ベランダに目をやると、過積載のゴミ箱が放置されていた。

……このような惨状を見せても大丈夫、というだけの信頼を、俺達はこの友人から得ているのだろう。しかし。
日をおいて再び参加を打診してきた先輩に向かって「行きます行きます」という俺の態度が異常にノリノリだったのは仕方ないことだと思うな。

お約束

3日坊主という言葉に忠実にさくっと更新を切ってしまったわけですが、最初の記事に書いたようにもともとあまりがっつり書く気とかないです。いつまでも記事ひとつじゃ不恰好かなという打算はあったので、ああいう感じで最初だけいいペースで書きましたが。……いや手抜きとかじゃないですよ?書くとなったらそれなりに真面目にやります。
はてなの方は自然に続いている(記事の物量の差もあるけど)ことを考えると、本当にここ数年の俺がポケモンと音ゲーに寄り過ぎているなあ、と感じて少しアレな気分になったりとか。

自分で言うのもナンだけれど、俺はだいぶ「ひとり上手」な人間だと思います。ポケモンなり音ゲーなりのゲーム全般しかり、気が向いたらいきなりどこかおかしいペースで小説読みふけってみたり、最近では絵の基礎練とかも。ほっといても勝手に何かしら楽しめるものをどこかから拾ってくるとプラスに解釈できる時はいいのですが、しかしひとたび他人と向き合った時にそれを誇れるかと自問して、俺ってば薄っぺらい人間だなあとへこんでしまう事が多々。
趣味を内向きに完結させてしまうのは性分だから仕方ない──と言ってしまうのは簡単ですが、たまには外向きに発散させてみようかなと最近は思っています。実現できるかは、まあ、俺の頑張り次第かな。

アタマで考えてない疑惑

何かを書くときの、自覚しつつも直せない悪癖が俺にはある。とりあえず、以下の文章を見ていただきたい。

twitterのTLを模した感じの作りなのはいいけれど、どうにも見たいところにすぐアクセスしにくい。バージョンが「(9)」の時のマイページは必要な情報が全部1画面に収まって、かつ画面上部の2段のタブで素早く直感的な情報切り替えができていた。のに。どうしてこう改悪するかなー。俺はユーザーニコ生のヘビーリスナーなんだけど、「現在行われている生放送」とか画面下部に追いやられて見切れていて毎回イラッとくる。

はてなで書いてるブログもどきから引用。内容はぶっちゃけどうでもいい。問題なのは文面に踊る逆接の接続詞の数々。けれど、のに、だけど。もっと悪い時は「〇〇だけど、××だけど、△△だけど、□□」みたいな文章が平気で頭からアウトプットされる。さすがにそのレベルだともうすこしマシな構成を考えて1から書き直すけれども、油断するとすぐにこんな文章になってしまう。
文章で何かを語る時というのは、たいてい論の着地点がある。オチと言い換えてもいい。そこに到達するまでに言葉を重ねていく際に、やりやすいというのが原因だと思う。着地点自体は決まっていても、前フリ部分は割とアドリブで考えている事が多いので、どんどん付け足していく。そして書き始めの時点では想定されていなかったアドリブ文章は、こんな歪な形になってしまうんじゃないかと。
毎回もっと頭の中で練ってから書き始めればいいのだけれど、やっぱりキーボード叩き始めてから思いつくことってのも多い。どうしたものかな、本当。